領家通路とへんろみち

検証『いにしえのへんろみち~宇摩平野と法皇山脈~』

コラム(2)領家通路とへんろみち

明治維新以降明治22年以前の間に作製されたと思われる古い地図を見て昔のへんろみちを確認していると、「この道は何だろう?」と気になる道に目が留まりました。

三角寺から金川村へ下り、土佐北街道に合流して平山へ向かい、平山で土佐北街道から分かれた後、横川を抜けて領家に入る道、へんろみちですが、当時、領家に入った道は椿堂へは向かわず、常楽寺の方へ進路を変えて、常楽寺付近を通過した後、田尾と的場を経て葱尾で阿波街道(伊予街道)に合流しています。当時、この道が領家地域の主要道と位置付けられていて、領家通路という表記があります。

そして、領家に入ってから椿堂に至るへんろみちは記されていません。

--なぜ?

椿堂付近にある中務茂兵衛の標石は明治30年代に建てられたもので、この古い地図の後に建てられたことが分かります。

--もしかしてこの道がへんろみちだったのだろうか?

そんな疑問が浮かんできました。

そこで、古い地図と現在の地図を照らし合わせながら、領家通路を歩いてみることにしました。

古い地図では、横川から領家に入った道は、古下田川を渡った後、右に進路を変えて山の方へ上っています。

そこで、高知道の高架下を抜けた場所からスタートして、古下田川に架かる古下田橋(地図①)を渡った後、右側の枝道(地図②)に入りました。

左にカーブしてすぐ右側の枝道に入ると上り坂に変わり、T字を左に曲がり、右にカーブすると、左側の棚田の奥に標石が見えました。

左側の細い農道(地図③)に入り、左に大きくカーブしながら進むと、右側の雑草の中に標石が建っていました。

この標石には、『三角寺』『椿堂』『雲辺寺』の表記がありました。

--この道が本来の椿堂ルートだったのか・・・

現在、高知道の高架下を抜けた後、そのまま整備された道を進み椿堂に至りますが、ほぼすべての歩きお遍路さんがこの整備された道を通っていると言っても過言ではないでしょう。

ですが、本来の椿堂ルートは細い農道を通り抜けた後、整備された農道を通り、原中集落を抜けて椿堂に至るようです。

現在、お遍路さんが歩いている道は新たに整備された車道であり、本来の椿堂ルートを歩くお遍路さんが増えてくれるといいですね。

話を戻しますが、細い農道に建つ標石を通過した後、右にカーブして坂を上り、整備された農道に入ると、右側の民家の角に標石が建っていました。

先の標石よりかなり古い標石で、文字がすり減って分かり難い状態です。

その標石の正面に手印と『三角寺』『奥之院』の表記がありました。左側の面には何も記されておらず、右側の面には手印と『雲辺寺』『箸蔵寺』の表記があります。ですが、読めるレベルではなくイメージできるレベルでした。また、この標石には『椿堂』の表記はありませんでした。

--この標石の右側の面にある手印はどの方向を指しているのか?

それは椿堂の方向ではなく、南方向を指しています。

--古い地図と合致している!!!

 

この標石が、『昔、遍路道はここから雲辺寺へ向かっていた』ことを示しています。

--椿堂が無いな・・・

この標石が建てられた当時は、ここから椿堂へ至るルートはまだ確立されていなかったのかもしれません。

 

かつて、この領家通路が雲辺寺へ向かう遍路道だったのでしょう。

この発見に心が躍りました。

--本当に葱尾まで辿り着けるのだろうか?

昔と今とでは、道の状態は変わってしまっていて、実際に葱尾まで通じているのか分かりません。

期待と不安が交錯する中、葱尾へ向かいました。

標石の手印に従って歩い始めると、すぐに急な上り坂が始まります。

舗装された農道をグネグネ曲りながら上って行くと、お婆さんが農作業中でした。

「この道は上れますか?」と聞いてみると、

「上れるよ。車は通れんけど、歩いてなら上れる」と教えてくれました。

その後、九十九折りの林道が始まり、急な坂を上って行くと、舗装された道に出ました。

この後、葱尾まで舗装された道が続き、アップダウンはありますが、特に険しい場所もありませんでした。

途中、迷いそうな場所では、田尾集落で生まれ育ったお婆さんが道を教えてくれたので、迷うことなく葱まで辿り着くことができました。

法皇山脈の山腹を通る領家通路は、車両はほとんど通らず、静かで歩きやすい道でした。

さらに景色が広がる場所が多くて、清々しさと心地よささえ感じられました。

--国道192号線を歩くよりずっといいな!!!

そう感じました。

さて、この領家通路は、四国遍路の父と称される宥辨真念の著書の中で記されていて、この領家通路こそが『いにしへのへんろみち』であることを証明しています。

おそらく、この先、領家通路を歩くお遍路さんはいないかもしれません。

ですが、かつて数多くのお遍路さんが歩いたであろうと思われる領家通路の存在を知っていただければ幸いですね。