託された金剛杖を大窪寺へ(第1回)

第1回 2019年5月14日(火)

雲がかかっていてスッキリしない空模様で、天気予報では大気が不安で雷雨の所もあるという、いささか心配な天気でした。

そんな朝、まずは三角寺までやってまいりました。

時刻は6時45分。すでに参拝を終えたお遍路さん数人が納経開始時刻を待っていました。

本堂と大師堂の参拝を終えると、納経が始まっておりましたので、直ちに納経所へ。

このためだけに新調した納経帳に、ご住職直々の墨書きとご朱印をいただき、いよいよスタートの時を迎えました。

 

三角寺をスタートして雲辺寺へ向かいますが、「さて、どのルートを歩こうか?」と考えました。

私に金剛杖を託したお遍路さんは、おそらく椿堂を経由するルートを歩いただろうと思われます。

現在、三角寺から椿堂へは、市道平山三角寺線と椿堂平山線を歩くのが主流になっていますので、今回はこのルートを歩くことにしましたが、川滝町領家に入ってからは昔の遍路道を歩きました。

ちなみに椿堂ルートが通ったのは明治以降で、江戸時代は領家から椿堂を経由せず、田尾と成尾観音堂を経由して葱尾に至るルートを歩いていて、真念さんの「四國徧禮指南」にこのルートが記されています。

 

椿堂に着いて、トイレ休憩の後、雲辺寺へ。

雲辺寺へのルートも幾つかありますが、徳島県に入って佐野から雲辺寺へ登る佐野道を歩くことにしました。

現在は、椿堂の後、まず国道192号線を歩くお遍路さんがほとんどですが、実は、遍路道は別にあります。

平木から葱尾までの間に、国道192号線の北側の山手を通る旧阿波街道が残っていますが、柵が設置されていて進入禁止になっています。この区間は通れませんので断念しました。

続いて、葱尾に入って久保内までの間に、国道192号線の南側を通る旧阿波街道が残っていて、今も通ることができますので、今回は葱尾の遍路道を歩くことにしました。

騒々しい国道192号線を見下ろしながら歩く葱尾の遍路道もいいですね。

 

境目峠から徳島県に入ると、雨がパラパラと落ち始めました。

--この様子だと、雲辺寺も雨だろうな・・・

雨の心配をしながら、佐野道の上り坂に入りました。

急勾配の坂に丁石や標石が残っていて、遍路道の風情を味わうことができますが、かなりキツくてペースはあがらず、おまけに汗が噴き出してきて、舗装された尾根道に入った時には汗びっしょりでした。

その流れで一気に雲辺寺へ。久しぶりの佐野道はハードでした。

 

雲辺寺は雨が降っておらず、涼しい風が吹き抜けていて、とても気持ちよく感じました。

雲辺寺では参拝と納経を済ませた後、ゆっくり休憩を取りました。

ここまで温存していたレッドブルを飲み干し、エネルギーをチャージしました。

 

雲辺寺からの下り坂も急勾配で、ザムストで両膝をガードしていても、膝の外側と内側、加えて、足首の外側に痛みが出るほど、かなり負担がかかりました。

一気に下ってしまいたいと思ってもペースはあがらない、過酷な下り坂です。

それでも新緑が映えて気持ちのいい道でした。

舗装された道に入り、ゆるやかに下って行きますが、車両はほとんど見かけず、静かで落ち着きのある道に丁石が建ち並び、古い個性的な標石も残っています。

 

大興寺の山門をくぐり、最初の石段を上ると、新緑が綺麗でした。

大興寺でも、参拝と納経を終えた後、しばらく休憩をとりました。

 

大興寺を出発して観音寺駅へ。

雲が薄れて陽射しが戻り、気温もあがって暑くなりました。

観音寺市の街中を進むに連れて景色も見えなくなり、車両も多くなりましたが、道端に残る丁石や標石に遍路道の名残りを感じました。

国道11号線を横切った辺りから、脚の疲労が顕著に感じられるようになり、ペースも落ちましたが、休憩は取らずに歩き続けて、観音寺駅に到着しました。

 

三角寺を出発してから参拝と休憩を含めて9時間47分、第1回目の予定は無事に終了となりました。

とにかく託された金剛杖を大切に!!!

そう思いながら歩かせていただきました。

雲辺寺越えのおよそ36キロ余りを無事に歩くことができたこに感謝です。

ありがとうございました。