明治初期に作成された地図を見ると、横川から領家に入った後、椿堂に至る道は記されていませんでした。この辺りは開墾されて棚田が作られていたようで、畦道のような農道は通じていたと考えられますが、正式な道として位置づけられていなかったようです。

古下田橋を渡った後、椿堂へ向かう旧道を進むと標石がありますが、かつて畦道だったと思われる農道に建っています。さらに民家の角に標石がありますが、相当古い標石で刻まれた文字を判別し難い古さです。約半世紀前に作成せれた地図を見ると、ここから原中へ向かう道は細い農道だったことが分かります。

さて、ここに建つ古い標石には椿堂の文字はありませんが、雲辺寺と箸蔵寺の文字が刻まれています。その方向は椿堂とはまったく違います。

昔はここから椿堂を経由せずに雲辺寺へ向かっていたお遍路さんも数多くいたようです。ちなみに、かの澄禅は椿堂を経由せず法皇山脈の尾根道を通り雲辺寺へ向かったと聞きます。また、椿堂常福寺の歴史を辿れば、昔、椿堂寿福寺は半田村の新田神社の傍にあったようで、この史実から考えても、昔、椿堂を経由せずに雲辺寺に向かっていたと考えられます。

そんな事由により、かつての領家通路を紹介いたします。

領家通路とへんろみち

古い標石の手印が指し示す方向へ進むところから始まります。

民家の横から舗装された農道を上り、やがて林道に入ります。

林道から舗装された生活道に入るとほぼ平坦な道に変ります。

合路集落に入り、常楽寺へ上る道との分岐点を通過した後も舗装された生活道が続き、やがて庄田橋を渡ります。

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常楽寺と山城神社